自分の考えは、もう求められていない気がした──会議で言葉が出なくなった40代の本音

内向型のマインドセット

こんにちは、早川です。

今日は、少し自分の話をさせてください。


社内の業務改善会議だった。

議論は速く、
次々と意見が出ていく。

ホワイトボードにはアイデアが並び、
場はどこか熱を帯びていた。

私は黙って聞いていた。

話についていけないわけではない。
内容は理解している。

けれど、発言のタイミングがつかめない。

誰かが話し終わる前に、
もう次の意見が差し込まれる。

私は相づちを打ちながら、
言葉を飲み込んでいた。

何か言おう。
言わなきゃ。

そう思った瞬間、
心臓の鼓動が少し速くなる。

呼吸が浅くなり、
一度整えないと、言葉が出ない。

これでいいか。
ずれていないか。
余計なことではないか。

自分の中で何度も確認しているうちに、
議論は先へ進んでいく。

言おうか、言うまいか。

その葛藤だけが、
内側で膨らんでいく。

 

昔から、こういう場は苦手だった。

若い頃は、それでも必死で付いていこうとしていた。

置いていかれないように、
理解が追いつく前でも声を出そうとしていた。

多少ずれてもいいから、
とにかく場の中にいようとしていた。

今は、それができない。
というより、苦しい。

考えがまとまらないまま話すことが。
場の熱に無理に合わせることが。
自分の内側を置き去りにしてまで前に出ることが。

だから一度、立ち止まる。

これでいいのか。
本当に言う必要があるのか。

そうしているうちに、
議論は流れていく。

 

会議は成功だった。

だからこそ、
自分だけが浮いているように感じた。

そのとき胸に浮かんだのは、

「自分の考えは、
もう求められていないのではないか」

という思いだった。

能力が足りないのか。
熱量が足りないのか。
向いていないのか。

議論が速い場では、
瞬発的に言葉を出せる人が中心になる。

私は、そうではない。

一度、自分の中で咀嚼してからでないと、
言葉にならない。

そのわずかな時間差が、
ときに「存在感の差」に見えてしまう。

若い頃は、それでも無理をして
その場のスピードに乗ろうとしていた。

今は、その無理が続かない。

理由は分かる。

けれど、分かったからといって、
あの日の自己否定が消えるわけではない。

理屈より先に、
感情のほうが傷つく。

この感覚は、
きっとこれからもなくならないのだと思う。

 

自分が自分である限り、
場の熱と自分のペースの間で揺れることはある。

だから問題は、
なくすことではない。

どう付き合うか、
なのだと思う。

あの日の会議で感じた孤独は、
今でも脳裏に焼き付いている。

当時はまだ、
扱い方を知らなかった。

今は、そう思えている。

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