こんにちは、早川です。
今日は、少し自分の話をさせてください。
社内の業務改善会議だった。
議論は速く、
次々と意見が出ていく。
ホワイトボードにはアイデアが並び、
場はどこか熱を帯びていた。
私は黙って聞いていた。
話についていけないわけではない。
内容は理解している。
けれど、発言のタイミングがつかめない。
誰かが話し終わる前に、
もう次の意見が差し込まれる。
私は相づちを打ちながら、
言葉を飲み込んでいた。
何か言おう。
言わなきゃ。
そう思った瞬間、
心臓の鼓動が少し速くなる。
呼吸が浅くなり、
一度整えないと、言葉が出ない。
これでいいか。
ずれていないか。
余計なことではないか。
自分の中で何度も確認しているうちに、
議論は先へ進んでいく。
言おうか、言うまいか。
その葛藤だけが、
内側で膨らんでいく。
昔から、こういう場は苦手だった。
若い頃は、それでも必死で付いていこうとしていた。
置いていかれないように、
理解が追いつく前でも声を出そうとしていた。
多少ずれてもいいから、
とにかく場の中にいようとしていた。
今は、それができない。
というより、苦しい。
考えがまとまらないまま話すことが。
場の熱に無理に合わせることが。
自分の内側を置き去りにしてまで前に出ることが。
だから一度、立ち止まる。
これでいいのか。
本当に言う必要があるのか。
そうしているうちに、
議論は流れていく。
会議は成功だった。
だからこそ、
自分だけが浮いているように感じた。
そのとき胸に浮かんだのは、
「自分の考えは、
もう求められていないのではないか」
という思いだった。
能力が足りないのか。
熱量が足りないのか。
向いていないのか。
議論が速い場では、
瞬発的に言葉を出せる人が中心になる。
私は、そうではない。
一度、自分の中で咀嚼してからでないと、
言葉にならない。
そのわずかな時間差が、
ときに「存在感の差」に見えてしまう。
若い頃は、それでも無理をして
その場のスピードに乗ろうとしていた。
今は、その無理が続かない。
理由は分かる。
けれど、分かったからといって、
あの日の自己否定が消えるわけではない。
理屈より先に、
感情のほうが傷つく。
この感覚は、
きっとこれからもなくならないのだと思う。
自分が自分である限り、
場の熱と自分のペースの間で揺れることはある。
だから問題は、
なくすことではない。
どう付き合うか、
なのだと思う。
あの日の会議で感じた孤独は、
今でも脳裏に焼き付いている。
当時はまだ、
扱い方を知らなかった。
今は、そう思えている。


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