5分を大切にしてきたのに、なぜか人生が窮屈に感じ始めた理由

価値観

こんにちは、早川です。

 

最近、少しだけ違和感を覚えることがありました。

5分を大切にする。
積み上げる。
時間を味方につける。

それ自体は、間違っていない。
むしろ、ここまでやってきたからこそ、今の自分がある。

でも、
24時間すべてを「効率よく生きよう」とすると、
どこか息苦しくなる感覚がありました。

 

先日、本屋で、
何か今の自分に役立つ新しい本がないか、
ざっと棚を眺めていました。

そのとき、
「1分を活かす」「5分で差がつく」
そんな言葉が、ふと目に入った。

それらの本が、
24時間すべてを管理しろと言っているわけではないことは、
もちろん分かっています。

どれも正しい。
これまでの自分を支えてくれた考え方でもある。

それなのに、なぜか少しだけ、
窮屈さを感じている自分がいました。

 

5分、10分の積み重ねが大切なのは、よく分かっている。

書くこと。
考えること。
学ぶこと。
自分を整えること。

これらは、短い時間の積み重ねでしか前に進まない。

だからこそ、
スキマ時間を意識するようになったし、
流されないために時間を区切るようにもなった。

ただ、その一方で、
ふと立ち止まる瞬間がありました。

 

子どもと話しているとき。
一緒に何もせずに過ごしているとき。
予定のない時間が、ただ流れているとき。

その時間に、
「今、何分使っているか」
「この時間に何かできたのではないか」

そんな考えが、頭をよぎることがあったのです。

その瞬間、
大切な何かが、すっと遠ざかる感じがしました。

 

子育てや、人との関係、感情の動きは、
時間では測れません。

5分だから意味があるわけでも、
30分取ったから十分なわけでもない。

ちゃんと目を見ていたか。
声のトーンに気づけたか。
一緒にいる空気を、受け取れていたか。

そういうものは、
効率の物差しでは、拾えない

 

気づいたのは、
いつの間にか私は、

時間を大切にするための仕組みを、
増やしすぎていたのかもしれない、ということ。

本来それは、
何かを犠牲にするためではなく、
大切なものを守るためのはずだったのに。

 

効率を意識しすぎると、
人生は少しずつ「正解探し」になってしまうことがあります。

この過ごし方は正しいか。
ムダにしていないか。
もっと良いやり方があるのではないか。

そうやって、
今この瞬間の心地良さが、後回しになる

でも、心地良さがなくなると、
判断は鈍り、余裕は削れ、
続けてきたことさえ、少しずつ重くなっていく。

 

だから最近は、
こんなふうに考えるようになりました。

積み上げる時間は、ちゃんと守る。
でも、すべてを積み上げなくていい。
測らない時間を、意図的に残す。

特に、
家族といる時間や、何も決めていない時間は、
「非効率でいい場所」にする。

そこでは、
成果も、改善も、反省も、持ち込まない。

 

何分一緒にいたか、ではなく、
ちゃんと呼吸できていたか。

何かを成し遂げたか、ではなく、
無理をしていなかったか。

そんな基準で、
一日を終えてもいいのだと思うようになりました。

 

5分を大切にしてきたからこそ、
今、あえて「測らない時間」を残したくなった。

これは後退でも、甘えでもなく、
続けるための調整なのだと思います。

もし今、
効率よく生きているはずなのに、
どこか窮屈さを感じているなら。

それは、一度立ち止まってみてもいい
サインなのかもしれません。

 

今日は、
何分できたかじゃなくていい。

足りなかったのは、時間じゃなかった。
余白だった。

その問いだけ、
そっと持って終わってもいいと思います。

P.S.

時間を整えることは、
本来、大切なものを守るためのはずでした。

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